2013年11月



ーー−11/5−ーー 現代ならではの品質  


 
大阪へ出張したついでに、奈良に立ち寄り、法隆寺と長谷寺を見た。木に係わる仕事をしているので、自然に木造の細部にまで目が行く。風雨に当たる部分は、損傷が激しかった。木の文化は、特に自然条件に曝されるものは、朽ち果てる宿命にある。そこは、ヨーロッパの石の文化とは大いに異なる。柱や梁に、修復の跡が多く見られた。

 古い建造物を見ると、それを造った人々の能力の高さに思いが及ぶ。現代人では真似できない物のようにも思う。しかし、現代の木工も、捨てたものでは無い。

 性能の良い機械が開発され、それを使う技術も進歩した。また、木材の性質に関する研究が進み、扱い方も進化した。優れた接着剤も誕生した。そのおかげで、昔よりも精度が良く、耐久性の高い製品が出来るようになった。木工家具もしかり。私が作るような作品でも、機械の精度を駆使した物であれば、昔の工人が昔の道具で真似をしようとしても、手に余るだろう。

 以前グルメ本で、日本酒に関する話を読んだら、現代では、江戸時代の殿様が飲んだ酒よりもはるかに高級なモノを、一般人が飲めると書いてあった。醸造学の発展により、酒造りの技術が向上し、酒造好適米が開発され、また精米機によって極度に米を磨くことが可能になった。そういう諸々の進歩により、昔では考えられなかった品質が実現できるようになった、と言うのである。

 木工家具も同じである。親子代々続く木工職人でなくても、それなりの努力をして、加工理論を勉強し、機械や道具の扱いに習熟すれば、機能、意匠、耐久性に優れた品物を作ることが出来る。ユーザーの側から見れば、一世代前には目にすることが出来なかったような秀逸な家具が、リーズナブルな、つまり品質から見れば納得できる価格で、手に入るようになった。

 反面、技能に依存する部分が減り、モノ作りの敷居が下がったために、大量生産の粗悪品が出回り易くなったとも言える。その量産安価な製品が、世間一般の価値基準となりつつある。

 戦後、アル添酒と呼ばれる酒が、世の中に出回るようになった。合成アルコールを加え、それによる味の貧しさを誤魔化すために香料などを混ぜる。大量に安価に酒を造る手法である。今でも、宴会の席で酌み交わされる酒の多くは、そのような代物である。百年前の人が飲んだなら、「これが酒か?」と感じるような酒である。

 粗悪な物は不味い。不味いものは飽きられ、粗末に扱われる。そのような粗悪品でも、酔えれば構わないと割り切って飲むなら仕方ない。しかし、それが世間のスタンダードとなってしまっては、寂しい限りである。

 



ーーー11/12−−− 首を横に振る 
 

 
日本では、了解の意思を示す際に、「首を縦に振る」と言い、反対の場合に「首を横に振る」と言う。ところが、国によっては逆のところがある。

 会社員時代、出張でインドに行った。客先であるインドの企業の社員と打ち合わせをした。話が終わった後、「次回の打ち合わせは、予定通り○○日で良いですね?」と聞いた。相手のインド人は首を横に振った。私は驚いて、「○○日と決めてあったじゃないですか、都合が悪くなったんですか?」と言うと、相手は「ノー」と返す。「それじゃあ、変更しなくて良いのですか?」と聞くと、首を横に振る。こちらは当惑して、「それでは何日にしますか?」と聞いた。すると答えは「○○日だ」であった。

 後で分かったのだが、インド人は了解した時に、首を横に振るらしい。

 民族が違えば、習慣も異なる。一方、同じ民族でも、個人によって表現のやり方が異なる事もある。全く正反対だと感じる事が、実は同じ事だったりもする。




ーーー11/19−−− スマホのナビ


 我が家では、車にカーナビを付けたことがない。信州の田舎を移動するぶんには、ナビなど必要無い。ほとんどは、勝手知ったる道であるし、初めての場所へ出掛ける際も、現在地が分からなくなることは、まず無い。道路マップさえ備えていれば、迷う事は無いのである。

 昨年ケータイをスマホに替えてから、状況が変わった。スマホのナビを使うようになったのである。

 初めのうちは、走り慣れた道を運転する際にスイッチを入れ、ちゃんと道なりに進むのを見て面白がった。そのうちに、「これは便利だ」ということになり、見知らぬ土地へ出掛ける際に使うようになった。

 10月に大阪へ出掛けた際にも使った。ただし、GPSを使い続けると、スマホのバッテリーの消耗が激しいので、目的地に近づくまでは、スイッチを切っておく。名神高速で吹田インターに近づいたとき、スマホのスイッチを入れて、ナビを開始した。するとすぐに画面が真っ暗になった。インター出口はもうすぐである。慌てて予備のバッテリーに接続した。すると、スマホは蘇って、ナビを始めたが、インターを出た直後に、今度は「GPS信号が失われました」となった。

 車の中はパニックになった。あらかじめマップに目的地をマークしてあったが、運転している私はマップを見れないし、助手席のカミさんは、女性の一般で、マップを見るのが得意でない。たちまち現在地が分からなくなった。ズルズルと遠くまで行ってしまっては、ますます分からなくなる。たまたま道端にコンビニがあったので、そこの駐車場に入れた。車外へ出て、周囲を見渡すと、現在地の予測がついた。自分で言うのも何だが、こういう事に関して、私には多少の動物的勘がある。

 かくして、ほどなく目的地に着いた。しかしその後もスマホは調子が悪く、電源が入らない状態になった。

 翌々日、安曇野へ帰ったのだが、途中スマホを買ったショップに立ち寄り、見て貰った。バッテリーが壊れているとの診断だった。私の機種は、とかくバッテリーのトラブルがあるようだ。

 11月になって、飯田市へ出かけた。バッテリーを取り換えたスマホの活躍が期待された。ところが、目的地に近づくと、またGPS信号の捕捉が不調になった。要するに使えなかったのである。結局、10年前に購入したマップを頼りに、道端に車を停めて確認することを繰り返して、目的地に着いた。

 その後ネットで調べたら、スマホのGPS感度にはムラがあり、結構使えない場合があるとの事だった。車の運転の道案内は、短時間の勝負である。作動したりしなかったりでは、困るのである。

 便利な物には、裏がある。便利な物ほど、使えなくなった時のダメージは大きい。初めからそのような物に期待しなければ、多少は不便でも、全体としての損失は少ない。また、精神の平穏が乱されることも無い。現在では、カーナビを搭載した車は一般的だが、昔はそのようなものは無かった。無くても、運転者が自分なりに工夫をして、目的地へ到達できたのである。

 一昨年、金沢を旅行した時に、マップが古いために道に迷い、動物的勘にも限界が来た。そこで、たまたま通りかかった交番に入り、道を尋ねた。警察官は丁寧に教えてくれたが、こういう仕事は久しぶりだったのか、なんだか嬉しそうに見えた。

 



ーーー 11/26−−− 娘が家風を継ぐ


 あるご夫婦を工房にお迎えした。丁寧に作品を見て頂いた後、自宅へ移って、家内を交えてお茶を飲んだ。四方山話が、子供の事になった。男の子が二人で、どちらも家庭を持っていると言う。こちらが、娘二人に息子一人だと言うと、奥様は「娘さんはいいですね、羨ましいわ」と言った。

 家内はそれに合わせて、自分が男の兄弟しかいなかったので、女の子が生まれて良かったと言った。しかし、奥様が言いたかったのは、もう少しレベルの高い話だった。

 女の子は、育った家庭の伝統を引き継ぐ、と言うのである。伝統と言うと堅苦しいが、家風とか、カラーとか、価値観のことである。例えば、物を大切にする家庭に育った娘は、結婚して家庭を持っても、そのやり方を引き継ぐと。

 話の発端は、「うちの嫁は家具に関心が無くて、孫に良い机をプレゼントしても、全然反応が無いんです」だった。親が、息子の家庭に、自分たちの価値観を踏襲して貰いたいと思っても、嫁さんがそれに理解を示さなければ、叶わないということらしい。

 言われてみれば、その通りだと思う。我が家でも、長女が結婚した時に、椅子をプレゼントした。その後、追加の椅子やテーブルを購入してくれた。旦那さんも私の仕事を理解し、その価値観を引き継いでくれた形になった。それも、娘だったからだと思う。もしそれが息子だったら、嫁から「悪いけど要らないわ。インテリアは私の好みで決めさせて」と言われれば、従うしかないだろう。

 家庭は嫁が切り盛りをする。だから、嫁の発言力が強いのは当然だ。嫁と旦那の価値観が一致していれば問題ないが、異なっていれば、譲るのは旦那の方である。

 そう言えば、私の家具を買ってくれたご家庭を見ると、奥様が購入を決めるか、旦那が決めたのを奥様が了承するというパターンがほとんどだ。おしなべて、夫婦仲が良いご家庭が多い。

 旅館や料亭、老舗などは、女将が取り仕切る。女将修行などという言葉もある。やはりわが国では、女性が伝統を引き継ぐのである。











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